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少年Aの手記 加害者が語る意味

手記の現物を見てはいないのですが。まず、出版そのものを規制するというのは、表現の自由の問題もあるので、賛成しない。内容的には読む価値があるとする意見もある。出版前に元少年Aと太田出版が遺族へ事前連絡をして、せめて被害者家族である両ご家族に仁義を通すべきだったという意見もある。しかし、それをしたところで、遺族は苦痛を増すだけだ。遺族が出版そのものにも強く反対するのも当然だ。ただ、差し止めまで認めて良いのか。
アメリカでは、このような場合に備えて、多くの州でで、サムの息子法という、犯罪加害者が犯罪を題材とする著作に関する権利を出版社や映画制作会社に販売して利益を上げることを禁止する法律があるそうだ。日本でもこのような法律をあえて制定する必要もあるかも知れない。
ところで、私は、心斎橋のロフトで、上祐さんとトークライブやった。軽く引き受けてしまって、はたと思った。こんなことやって良いのか。勿論、私自身は、失踪事件以降、「坂本弁護士一家を探しています」と街頭で1万回は叫んだし、オウム事件の時に、警察の被害者側の警備対象者にもなった。それと、別項で触れているように、じさいのライブでは辛口のコメントもしている。というか、このライブ自体が相当お堅い内容になった。でも、被害者の遺族がどう思われるだろうか、と思ってしまうところもある。
ところで、今日の朝日新聞に1995年の沖縄米兵少女暴行事件の加害者が、ドキュメンタリー映画の中で謝罪を表明しているという記事があった。しかし、被害者側は見たくも無いだろう。大変むつかし問題ですね。

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上祐の発言、行動は、正当化されるか

7月13日に心斎橋のロフトで、上祐とのトークライブをしました。

「オウム真理教事件から20年!上祐史浩トークライブin大阪」


50人位参加者がいました。
オウムの犯罪行為について結構まじめな話をしました。
麻原は坂本事件、内部的(幹部)には犯行をにおわしていたようです。
松本サリン事件も新見が上祐に教団がやったのだと認めたそうです。
それと、何で犯罪行為を阻止し、あるいは教団から抜けなかったのかと問えば、それは、麻原への絶対的帰依(信仰)がある反面、麻原を殺すか、自分が殺されるかという葛藤があったとのことでした。
オウムの信者が何故凶悪な犯罪に走ったか、ということ疑問があります。これについては、マインドコントロールされているという要素も勿論あるのですが、上祐の話を聞いて、信者は麻原の指示によって、様々な犯罪的行為に手を染め、共犯者になってしまい、抜けられなくなった、という要素も強いと思いました。
私は上祐に、以下のことを言いました。
本気で謝罪をするなら、まだ行方不明になっている信者、例えば修行中に死亡して、遺体がが隠されているような人のことと調査すべきだと言いました。
また、あなたがマスコミ等で話すことは、例え謝罪の意思表明の要素が強くとも、少年Aに手記出版と同じように、被害者側からは不愉快に思われている。だから、慎重になるようにと言っておきました